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博多織は1241年、宋(当時の中国)から技術を持ち帰ったのがその始まりと言われおり、その歴史は760年以上を経ています。江戸時代初期、筑前藩主の黒田長政は幕府への献上品として博多織を選びました。有名な「博多献上帯」の名はここから生まれたのです。今では博多織は伝統的工芸品に指定されています。(昭和51年通産大臣より指定)

 

博多織の帯はとにかく“締めやすい”のが特徴となっています。その理由は「タテ糸が多い」ということ。細いタテ糸をたくさん使い、太いヨコ糸を強く打ち込むことでハリとコシが出て、きちんと締まりくずれにくい帯となるのです。

 

「武士も愛用」
時代劇などを見ると、江戸時代の武士のほとんどが献上柄の博多織、つまり博多帯を締めています。武士が命よりも大切にした刀、そのさやが抜けないよう、良く締まる博多帯を愛用したのです。

《博多織の開祖と起源》

1235年、博多湾から、博多の商人、満田弥三右衛門と聖一国師は宋へと旅立ちました。その後、6年間、二人はそれぞれ修行を積み、1241年再び、博多湾へ戻って来ました。聖一国師は、褝を極め、弥三右衛門は、五科を習得して帰ってきました。弥三右衛門の五科とは、朱焼・箔焼・素麺・麝香丸・織物のことで、当時の最先端技術でした。弥三右衛門は、これらの技術を多くの人々に伝えましたが、織物の技術だけは、家伝の秘宝としました。これが、博多織の起源とされています。

《献上柄の由来》

満田弥三右衛門は、博多織の独自の織紋様をつくろうと色々思索していましたが、なかなか良いアイデアが浮かびませんでした。そこで、宋の国へ一緒に行った承天寺の聖一国師のところへ相談にいきました。聖一国師は、傍らに置いてあった独鈷(*)と華皿(*)を持ち出して、これを使って紋様をつくることをすすめました。そうして、出来上がったのが、献上柄です。
※この頃はまだ「献上柄」とは呼びませんでした。「独鈷と華皿文様」という文様名でした。

【独鈷】=真言宗で使用する、煩悩を打ち砕く法具。
 

【華皿】=法要のときに散布する花を盛る器。


その他2種類の縞があります。
【親子縞】=親が子を守る姿をあらわし
【孝行縞】=子が親を守る姿を表現したとされております。



《黒田長政と献上博多》

関ヶ原の戦い(1600年・安土桃山時代)に徳川家康の元で手柄を立てた、黒田長政は、筑前の国五十二万石を家康から授かり、筑前黒田藩の初代藩主となりました。徳川幕府への忠誠の印として、博多に古くから伝わる独鈷に華皿柄の博多織を献上品に選びました。それ以来、毎年3月に、帯十筋と反物三定の博多織を献上することになり、「献上博多」の名称が誕生しました。
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